第25話 「ご当地グルメがやって来た。」

最近の大都市とその周辺のデパートやスーパーのどこかでご当地グルメが開催しています。B級グルメの大会も日本各地で行われています。最近は飽食(ほうしょく)の時代で、回転寿司でラーメンが食べられ、イタリアレストランで日本蕎麦パスタが食べられます。

東京のデパ地下は食べ物なら何でもあり、デパ地下食品競争が激しく、いつの間にか日本の端から端までの名店が東京や大阪に出店を出して競争をしています。

殊に競争の激しい所は最近の日本橋です。デパートの日本橋三越日本橋高島屋をはじめ各地物産館やコレド室町などは、日本中の名店が競っています。三重テラス(物産館)などは、名物の伊勢うどんを十種類も揃え、奈良物産館は名物の柿の葉寿司を毎日販売しています。日本橋に行けばご当地に行った気分になりますが、ディスカバー気分にはなりません。やはり北海道や京都、奈良や九州、四国の現地に行ってそこで食べるから夢が生まれるので、舌だけで味わうのでは、夢は見られないかもしれません。

伊勢うどんは、お伊勢参りをしておはらい町を歩きながら食べる気持ちはご当地ならではです。日本橋で味わい各地に行きたい気持ちになればよいのですが、そこで満足させては出店の意味がないように思われます。旅に行かないで日本橋だけで楽しんでは、松尾芭蕉が悲しむかもしれません。山形県立石寺(りっしゃくじ)に行ってこそ「閑さや岩にしみいる蝉の声」を肌で感じる事が出来、正岡子規(まさおかしき)の「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」は日本橋で柿の葉寿司を食べただけでは、この俳句はわからないと思います。各地の物産館は是非現地に来て下さいとデモンストレーションをしているのだと思います。ご当地グルメがいつの間にか、デパートやスーパーの客寄せになっていては、ご当地が可哀想です。各地方は過疎化(かそか)が進み閑古鳥(かんこどり)が鳴いています。是非、各地方に行って良い物や良い所に出会って下さい。


吉祥寺・昇華山阿羅耶識院本堂の
京都・奈良の名刹寺院の仏像(写仏)三十八体の一体
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亥年生まれの神様
毘羯羅(びから)大将
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第24話 「人の振り見て我が振り直せ」の話。

「人の振り見て我が振り直せ」とは、成語大辞苑によりますと「他人の姿や振る舞いを見て、自分の姿や振る舞いを反省し、改めるべきところは改めよということ」と訳されています。 

この頃の人達は「人の振り見て我が振り直せ」ではなく、「他の人やるから私もやろう」の人が多くなりました。「猫も杓子(しゃくし)もスマホを持とう」で、「街を歩けばスマホにあたる」です。

スマホ中毒者は流行病になり、世界中に蔓延(まんえん)しています。

スマホのお陰で幸福になるかというと、不幸になる人が多いようで、まずスマホを始めると寝不足になります。文字を忘れます。本を読まなくなります。衝動(しょうどう)買いをするようになります。旅行をする楽しみが減ります。そして目が悪くなります。姿勢が悪くなります。会話をしなくなり失語症気味になります。

良い事はネットで買い物が出来ます。ただし余計な物まで買ってしまう事があります。

スマホ時代の「人の振り見て我が振り直せ」は、スマホ中毒から脱出する事です。スマホ中毒から脱出するのは禁煙するより大変です。スマホは文明の利器です。使いようによっては神仏の智恵と知識を会得できるでしょう。良いアプリを選ぶ事によって本が大好きになったり、人との会話が出来るようになります。「見てやろう聞いてやろう試してやろう」の精神と知識が養われるでしょう。

「人の振り見て我が振り直せ」とは、スマホにもあてはまります。スマホはゲーム機ではなく、知識や智恵をえるものなのです。よりよいスマホの利用法を学び、他人に迷惑をかけないスマホマナーこそ、スマホから得る智恵なのです。


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第23話 「甲午(きのえうま)〈今年〉」の年は様々な災(わざわ)いのある年。

昔から言い伝えに「甲午の年は、災いが起きる」と言われています。今年は韓国で客船「セウォル号」が沈没して、300人以上の死者行方不明者を出しました。ウクライナ情勢は一つ間違えば「第三次世界大戦になる危険をはらんでいます。更に各国でも紛争が起きています。

今年は台風やゲリラ豪雨が多い年のようです。爆弾低気圧も各地で派生するでしょう。様々な流行病は鶏や豚だけではなく、人間にも起きています。1954年(昭和29年)の甲午の年には、9月26日の台風により青函連絡船(せいかんれんらくせん)の洞爺丸(とうやまる)を始め四隻の貨物船が転覆遭難し、合わせて死者行方不明者は1,155人も出ました。

3月1日には中部太平洋でマグロ漁船第五福竜丸が操業中に水爆実験に遭い、乗組員23名が被爆しました。さらにこの年に自衛隊が発足して再軍備に向かいました。

1894年(明治27年)の3月に朝鮮で甲午農民戦争が勃発(ぼっぱつ)してそれを契機に日清戦争が勃発し、そして日露戦争(にちろせんそう)へと向かい多数の戦死者を出しました。

1834年(天保5年)には、東北地方が大飢饉(だいききん)になり東北各地で一揆が起きました。7月11日には大阪堂島(どうじま)新地で大火災になり、約7,560戸が消失しそれを境に大不況が起こりました。

「甲午」の災害は過去の例から見ても、どの様な事が起きるかわかりません。「備えあれば憂いなし」の喩えのように、神仏の御加護を強くしましょう。「祈る所に福来たる」の教えもあります。

今年はことに気候の変動が激しく、震災・戦災が各地で起きています。「苦しい時の神頼み」も身を守る為の智恵です。

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第22話 現代の二宮金次郎(スマホの中毒)

この頃の人達は「二宮尊徳(にのみやそんとく)(金次郎)」と言っても、ほとんどの人達がわからないと思います。辞書の広辞苑によりますと「二宮尊徳は、江戸時代末期相模の国の人で、徹底した実践主義で神・儒・仏の思想により報徳の精神を啓蒙(けいもう)し、自ら陰徳、積善(せきぜん)、節約を力行(りっこう)し、殖産(しょくさん)を説いて実践し、相模の国の六〇五ヶ村を貧苦から救い復興させた。」と解説されています。

約五〇年前頃までは、小学校の校庭には薪(まき)を背負って本を読んでいる二宮金次郎の銅像がありました。貧しい金次郎は働きながら読書に励み農家に殖産・畜産を奨励(しょうれい)し、農家の復興に貢献(こうけん)した日本を代表する篤農家(とくのうか)です。

現代の二宮損得(そんとく)(金次郎)さんは薪も背負わずに本も読みません。現在の二宮金次郎さんや金子(きんこ)さんは、本ではなくスマートフォンが本の代わりで命から二番目がスマホなのです。お出かけの時の必需品はスマホです。食事にスマホ、お話の代わりにスマホでメール。朝から夜までスマホスマホです。歩きスマホは当たり前で、スマホ中毒が高じると電車のホームでも歩きスマホで、スマホに夢中でホームから落ちて電車に轢かれる人や、歩道から道路に出てしまい車に轢かれる人もいます。

最近のスマホ金次郎は字を調べる時や物を調べる時もスマホで検索。買い物もスマホのインターネットで、旅行もスマホです。

現代スマホ狂は中毒を超え社会現象です。スマートフォンを使えない老人はガラパゴス人間で、買い物も出来ません。

是非、老人達の為に日本政府が各市町村の役所にスマホの係とスマホお・も・て・な・し員を配置してください。

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第21話 「地獄極楽はこの世にあり」の話。

「地獄極楽はこの世にあり」の意味は「善悪の行いの応報は、あの世を待つまでもなく、この世でもはっきりとあらわれる」と広辞苑に訳されています。

仏教では、「地獄も極楽も自分の行い次第で見る事が出来る」と言われています。

仏教では、「自分を地獄や極楽にする六根がある」といわれ、「六根(ろっこん)」とは、眼根(げんこん)、耳根(にこん)、鼻根(びこん)、舌根(ぜっこん)、身根(しんこん)、意根(いこん)の六種のことです。

「六根」を常に清浄にしている事は大変難しく、「六根」によって、様々な災いや喜びを生み、それによって地獄や極楽に出会うのです。

眼根は、邪(よこしま)な眼、疑惑の目、恨みの眼、ねたみの眼等があります。

耳根は、様々な嘘の話や悪への誘いや様々な悪いうわさ話を聞いてしまいます。鼻根は、様々な臭いを嗅いでしまいます。

舌根は、妄語(もうご)、綺語(きご)、悪口(あっく)、両舌(りょうぜつ)〈二枚舌(にまいじた)〉等があり、それによって、身根は、身体の調和を乱します。そうすると意根は様々に揺れ、悩み苦しみ怒り等により心が乱れるのです。それをこの世の地獄と言い、その地獄から逃れる為に、お寺や神社や霊場に行き「六根清浄」の精進行をするのです。

仏教では、「六根清浄」をする為に、様々な教えを説いています。この世で極楽を得る為の方法として、「六波羅蜜(ろくはらみつ)」の行があります。それは、布施、持戒(じかい)、忍辱(にんにく)、精進、禅定(ぜんじょう)、智恵の六つの行(ぎょう)があるのです。「六波羅蜜」については次の機会に詳しくお話しします。

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第20話 「親知らず子知らず」の話。

「親知らず子知らず」とは「険しく危険な山道や、海沿いの道などの険しい難所をさすことば」で、その意味は「あまり道が険しいので、親子でその道を歩く時は、親は子供をかばう事が出来ず、子供は親に頼る事が出来ない、それほど危険の場所を指す」です。

この「親知らず子知らず」は昭和の初めまで存在した難所の道で、富山県新潟県の境にありました。

最近の「親知らず子知らず」は、少し意味が違うようです。「親の面倒も見なければ、子供の面倒も見ない」まさにこれこそ「親知らず子知らず」です。

親の面倒を見ない子供。子供に頼る事の出来ない親。

親は食べるものも我慢して、兎小屋(うさぎこや)のような家をローンで買い、子供達を無事に高校や大学を卒業させ、やっとの思いで就職させると、親達はボロボロです。

親を捨てた子供は、やがて親になり親の供養もしない。そして寂しく年を取り、それでもボロボロの親達は、やがて独立した子供にはもう脛(すね)は囓(かじら)せないぞと、親達だけの生活を守り子供に面倒をかけない為に、自分達だけの葬式と納骨堂を予約する。「親の因果が子に報い」の喩えは現在も同じで、親を捨てた子供は、やがて親になる。「因果応報」で「輪廻転生(りんねてんしょう)」の世の中です。

「親知らず子知らず」から脱出しましょう。ただ生きている世界から、生かされている世界へ。親子が思い遣りと慈しみの心で接して行く世界。親子が和やかに語り合える世界。

日本人の心「おもてなし」の心で、親子が接して暮らしましょう。


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第19話 「馬の耳に念仏」の話。

「馬の耳に念仏」とは、成語大辞苑によりますと「馬にありがたい念仏の声を聞かせても、意味もわからず、喜びもしないように、どんなに理のある意見を説いて聞かせても、聞き流すばかりで効果のないさまをいう」と訳されています。
修学旅行で奈良や京都に行った人の中の殆どの人が、何処に行ったか覚えていないようです。
成人して年を経た時、修学旅行の事を思い出したら、もう一度京都や奈良へ行ってみませんか。
そこにはきっと青春の思い出が落ちていて、自分の修学旅行時代の「馬耳東風」が有ると思います。
人間、人生で迷う時が二度や三度はあるはずです。そんな時には京都や奈良には考えさせてくれる時間が存在しているのです。何時でも京都や奈良のお寺には悩みを黙って聞いてくれる仏像達や、悩みを受け止めてくれる庭園があり、味わい深い食べ物があります。
京都や奈良は季節毎に趣を変え、人生の疲れを癒してくれます。
修学旅行の時には「馬の耳に念仏」だった仏像達の声が聞こえるような気がした時に悩みが吹っ切れます。JRの宣伝ではありませんが、奈良や京都はそんな所です。
私は昔の日本を探しに時々奈良や京都に行きます。お寺の境内の茶店の甘酒や冷やし飴は幼い頃の甘酸っぱい思い出を呼び起こします。幾つになっても夢がある人は年を取りません。
旅をしませんか?若さを取り戻す旅をしませんか?。とくに京都や奈良には、若さがいっぱいあるかもしれません。

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