第18話 「お水取り」の話。

三月「奈良東大寺二月堂の『お水取り』が終わると春が来る」と、関西の人達は言います。
三月三日に下鴨神社では厄払いの行事「流しびな」がおこなわれ、「これから春が始まる」と京都の人達は装い(よそおい)を新たにします。
去年は春から異常気象がつづき、夏の猛暑が終わると紅葉の季節が来ないで、いきなり冬が来て、去年の暮れからは東北では二倍以上の豪雪がつづき、今年の冬は気象の変化が激しく、厳寒なのか暖冬なのかさっぱり分かりません。
奈良の二月堂のお水取りが終わると春が来ると言われていますが、今年はもしかしたら大寒波が終わるといきなり春の長雨がきて、それが終わると空梅雨(からつゆ)の猛暑が来てしまうのではないかと思います。まさに今年は平安末期の大飢饉の年の様な気がします。
平安末期に京の都では大飢饉と疫病で次々に人が亡くなり、都の六原と西の化野に死体が積み上げられ、ついには京の都の三分の一の人達が亡くなりました。
その屍(しかばね)を荼毘(だび)に付(ふ)した場所が、今では東は六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)に、西は化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)になっていて、望郷(ぼうきょう)の地になっています。
今の日本は大飢饉が起きたとしても、世界から食料を輸入すればよいと思っている人が大多数です。
しかし世界は病んでいます。オーストラリアは今大干ばつで、アメリカは大寒波です。ヨーロッパでは大洪水です。東南アジアがもし大飢饉になったら、日本に食料を輸出してくれる国が無くなってしまいます。
奈良の「お水取り」は、五穀豊穣と万民幸福の為のお祈りの行事ですが、日本の餓死者(がししゃ)を弔う行事にならないようにしたいものです。

吉祥寺・昇華山阿羅耶識院本堂の
京都・奈良の名刹寺院の仏像(写仏)三十八体の一体
奈良・新薬師寺の薬師十二神将
辰年生まれの神様
安儞羅(あにら)大将
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第17話 「日日是好日(にちにちこれこうにち)」の話

「日日是好日」とは、「毎日毎日が常に良い日である」とか「毎日が平穏無事の日である」と解釈する人が多くいますが、仏教ものしり小百科には「日日是好日(にちにちこれこうにち)」とは「思慮分別をまったく離れたところに心身を置くと、執着の心が無くなって、毎日が平穏無事の日日の心境になる」そして「とらわれの心がないのですから、なんのこだわりも生じてはいません。『日日是好日』とは、今が幸せ明日は分からないではなく、すべての日日が良い日である心境になれる」事を指しているのです。この様な心境になる事は現代では無理な話です。普通の辞書では「日日是好日」を「にちにちこれこうにち」と読み、訳は「その日その日が吉日であること」です。
仏教流に「日日是好日」とは、かなりの高僧でも解釈できないほど難しいようです。仏教では「無学」の心境にこそ、「日日是好日」が解ると言われ、「空」の心境に達する「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)」それは「この上なく完全な悟りの境域」ですから、それは悟りを開いた菩薩や佛の世界の話で、我々にとっては「日日是好日」とは毎日が平穏無事の日で吉日であると思うか、毎日毎日が不幸の連続であると思うかで、人生が変わってしまうのです。「福を呼び込むのも自分」で「不幸を招くのが自分」ならば、どちらを取るかは自分次第なのです。昔の人は「泣くも一生、笑うも一生ならば、がんばって笑う日を多く造ろう」と日々励みました。「忘己利他(もうこりた)」の精神は「楽な作業は他人に与え、辛い作業を進んで行おう」です。
「忘己利他」のお話はまたの機会に・・・・・

吉祥寺・昇華山阿羅耶識院本堂の
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奈良・新薬師寺の薬師十二神将
卯年生まれの神様
安底羅(あんてら)大将
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第16話 「四字熟語」の話。

日本人は「四字熟語」が好きです。「不撓不屈(ふとうふくつ)」とか「切磋琢磨(せっさたくま)」とか「先手必勝(せんてひっしょう)」とか「栄枯盛衰(えいこせいすい)」とか「馬耳東風(ばじとうふう)」とか様々な熟語があり、その他にも茶道の精神を表す「一期一会(いちごいちえ)」や、武道では「無念無想(むねんむそう)」や四字熟語は数々あり、仏教にも数多くの四字熟語があります。お相撲さんが誓いの言葉に使う「不惜身命(ふしゃくしんみょう)」は仏教の大切な誓いの言葉です。仏教のお祈りや御祈願には様々の熟語があります。「心願成就」や「開運勝利」や「当病平癒」等々です。
仏教熟語の中でよく使われている「四字熟語」は「諸行無常(しょぎょうむじょう)」です。日本の仏教宗派では様々な仏教熟語があります。
特に天台宗では「照干一隅(しょうういちぐう)」に「忘己利他(もうこりた)」や「和顔愛語(わげんあいご)」が多いようです。
殊に「和顔愛語(わげんあいご)」は、「大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)」の中の一節で、人間にとって最も大切な言葉です。
「和顔愛語」は仏教辞典では「やわらなか顔色と優しい言葉。やわらいだ笑顔をし、親愛の情のこもった穏やかな言葉をかわすこと。なごやかな顔、愛情ある言葉で他人に摂する事」です。
人間、殊に最近の日本人には「和顔愛語」が欠如しているようで、「我利我欲」の熟語を地で行く人が多くなりました。時の総理大臣も「民主友愛」を自分の都合の良い言葉にすり替えたり、「国民第一」を掲げた「ご都合主義」の元首相達が居るようで、「和顔愛語」の言葉は「有名無実」に踏みつぶされているのが現実です。
是非、「忘己利他(もうこりた)」と「和顔愛語(わげんあいご)」を実践する家庭の自覚と学校が奉仕と慈しみの心を実践する教育を望みます。

吉祥寺・昇華山阿羅耶識院本堂の
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寅年生まれの神様
迷企羅(めきら)大将
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第15話 「お正月の行事と風習」の話。

「お正月」と言う歌に、「凧揚げコマ回し羽根つき」がありますが、最近は殆ど見かけません。お正月の遊びにはカルタ取り、双六、羽根つき、福笑い等がありました。
最近の子供達はスマホゲームが有るので、お正月など関係ないようです。
お正月といえば、お雑煮におせち料理でしたが、最近は多くの家で子供達はおせち料理を食べないそうです。その理由はお母さんが日本食の作り方を知らなくて、簡易的な冷凍食が多く、レトルトの中華料理やハンバーグで誤魔化している為に、日本料理の美味しさは知りません。
夫婦共稼ぎの弊害は食べ物が偏ってしまい、子供達の間で偏食がちになり、胃腸が弱くなったり、風邪をひきやすくなったり、ひどい時には、アレルギー体質になったりします。
元来日本人は魚や野菜が中心の菜食の人種でした。日本人は米文化が長く、身体も米中心の身体に伝統的に出来上がっているのです。お正月にお雑煮を食べるのは、雑煮には餅を始め野菜や鶏肉又は魚やキノコなど様々な物を食する事で栄養を摂取する知恵でした。
おせち料理は冬の栄養食で冷蔵設備の無い時代から保存食として、お正月中食べられたのです。
お雑煮は、関ヶ原を中心としてお餅や具の中身がちがいます。
日本の文化や風習は各地様々ですが、それが日本の素晴らしいところで、お正月から年の瀬になるまで様々な風習があり、奇異な風習もあります。日本は南から北まで四季や様々な伝統文化のある国です。

吉祥寺・昇華山阿羅耶識院本堂の
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奈良・新薬師寺の薬師十二神将
丑年生まれの神様
伐折羅(ばさら)大将
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第14話 「初詣いろいろ」の話。

「初詣」といえば、昔は正月三が日に神社やお寺に行くことです。最近ではお正月中に神社やお寺にお参りすることを、初詣と言うそうです。初詣のベスト五は平成二十四年の集計では、一位が明治神宮で、二位は成田山新勝寺で三位は川崎大師平間寺で、四位は浅草寺で、五位は伏見稲荷大社でした。関東地区に一位から四位が集中しているのは、関西地区には有名神社や名刹寺院が多くある為に多くの人達が様々な神社やお寺に行くので、ランク別では上位には入りにくいようです。
つい最近の初詣は復古調が流行り、様々に着飾って初詣に来る人達が多くなりました。殊に若い人達の間では、男の人も女の人も和服を着て初詣に来る人が多くなりました。
昔から日本人の体型にあった装いは和服でした。
最近の京都では着物のレンタルが流行して一年中男女とも和服を着た人達を多く見かけます。
和服を着ると和食を食べたくなります。
最近は和食まで世界遺産に登録されています。
日本には伝統的な美しい所が数多くあり、世界中の人達が観光に訪れています。最近アメリカを始めEU諸国から訪れる人達は、日本の箸を上手に使っています。日本の若者達より上手です。
日本の美しい伝統と文化を今年の年頭に改めて見直し、神社仏閣に「初詣」をして、日本食を食べ、日本各地の祭を見に行きましょう。

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京都・奈良の名刹寺院の仏像(写仏)三十八体の一体
奈良薬師寺の薬師三尊 月光菩薩
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第13話 「お彼岸」によせて。

今年の「秋のお彼岸」は土曜、日曜、月曜の三連休です。お彼岸やお盆と言えば若い人達や若い家族の人達はレジャーウイークです。日本人の習性はみんなで渡れば怖くないです。混み混みの高速道路に三十キロ以上の渋滞はなんのその、混み混みのレジャー施設で揉みくちゃになり、疲れ果てて帰路についてもまたまた道路は渋滞、ウサギ小屋の日本人達のレジャーは侘びしいものです。
最近のお彼岸やお盆のお墓参りは殆どの人達が中高年です。中には近いうちにお仲間になりますとご挨拶に来る人達が多くいます。お彼岸の本当の意味は、お休みでもなく、墓参りに行くだけでもないのです。
仏教では人間が悟りの境地(きょうち)に達したところを「彼岸(ひがん)」と言います。それに対して煩悩(ぼんのう)と迷いの心で右往左往(うおうさおう)しているところを「此岸(しがん)」と言い、私のような凡人は「此岸」のまっただ中にいるようです。仏教では「彼岸」の事を絶対の悟りの境地「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)」と言い、菩薩の境地とも言うそうです。
「彼岸」と言う悟りの境地に行く為の一つの方法に先祖の菩提を弔う追善供養があります。追善供養の中には僧侶を招いて廻向(えこう)をしてもらう、またお墓に塔婆(とうば)を供える等があります。さらにその上を行くのが寺院に寄進をすることで、寺院にとって大切な品や物を寄進すれば、その功徳(くどく)は自分や先祖だけではなく、寺院に参拝する人達への功徳でもあるのです。この行いを菩薩行(ぼさつぎょう)と言います。
またの機会にお話ししますが、六根清浄行として「六度行(ろくどぎょう)」があり、お供え物は、お水、塗り香(ぬりこう)、お花、お線香、供物、灯明です。

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奈良薬師寺の薬師三尊 日光菩薩
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第12話 「お伊勢参り」の話。

平成二十五年は、伊勢神宮(神宮)外宮・内宮を始め伊勢神宮百二十五社の建て替えと、外宮、内宮を二十年毎に遷宮(せんぐう)をする年です。遷宮とは外宮と内宮のそれぞれの敷地内を左右に移動することなのです。
伊勢神宮天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)と豊受大御神(とようけのおおみかみ)を始め百二十五社の御社(おやしろ)には日本誕生の神々がお祀りされています。神様の呼び名は「柱(はしら)」と呼び、三人の神様をお祀りしている場合、三柱(さんはしら)の神様と呼びます。「お伊勢参り」は伊勢神宮にお参りする事で、江戸時代の最盛期には日本各地に「お伊勢講」と言うお伊勢参りの為の「頼母子講(たのもしこう)」が出来ました。
頼母子講(たのもしこう)」とは、それぞれの辞書を要約しますと「仲間が集まり一定のお金を積み立て、入り用な人から落札する組織」のようです。その「お伊勢講」に加入した人達を始め、日本人の人口の六人に一人がお伊勢参りに行ったそうで、最高の年には推定五百万人以上の人達が伊勢神宮に参拝に来たそうです。
伊勢参りの中には「抜(ぬ)け参り」と言うのがあって、それは無銭旅行の事で、柄杓(ひしゃく)を一つ持って「お伊勢参りにまいります」と柄杓を出すとお金を恵んでもらえたそうです。
更に最盛期には「伊勢へ行きたい、伊勢路が見たい、せめて一生に一度でも」と言う歌になるほど、江戸時代の人達の憧れの聖地でした。その人達がお伊勢参りが出来ると「おかげ参り」と呼ばれ、伊勢神宮境内の商家の家では、おかげ参りの人達に様々な食べ物を提供しました。現在でもその「おかげ参り」の風習が残り、「おはらい町」と呼ばれ、伊勢神宮参拝の後には「おはらい町」には人々が溢(あふ)れます。その「おはらい町」には一年間に約五百万人の人達が訪れます。
殊に今年は二十年に一度の遷宮の年なので更に参拝者が多く、平成五年から出来た「おかげ横丁」などは大賑わいで、「一生に一度はお伊勢参り」が再現しそうです。

吉祥寺・昇華山阿羅耶識院本堂の
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京都・教王護国寺東寺梵天王像
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