第21話 「地獄極楽はこの世にあり」の話。

「地獄極楽はこの世にあり」の意味は「善悪の行いの応報は、あの世を待つまでもなく、この世でもはっきりとあらわれる」と広辞苑に訳されています。

仏教では、「地獄も極楽も自分の行い次第で見る事が出来る」と言われています。

仏教では、「自分を地獄や極楽にする六根がある」といわれ、「六根(ろっこん)」とは、眼根(げんこん)、耳根(にこん)、鼻根(びこん)、舌根(ぜっこん)、身根(しんこん)、意根(いこん)の六種のことです。

「六根」を常に清浄にしている事は大変難しく、「六根」によって、様々な災いや喜びを生み、それによって地獄や極楽に出会うのです。

眼根は、邪(よこしま)な眼、疑惑の目、恨みの眼、ねたみの眼等があります。

耳根は、様々な嘘の話や悪への誘いや様々な悪いうわさ話を聞いてしまいます。鼻根は、様々な臭いを嗅いでしまいます。

舌根は、妄語(もうご)、綺語(きご)、悪口(あっく)、両舌(りょうぜつ)〈二枚舌(にまいじた)〉等があり、それによって、身根は、身体の調和を乱します。そうすると意根は様々に揺れ、悩み苦しみ怒り等により心が乱れるのです。それをこの世の地獄と言い、その地獄から逃れる為に、お寺や神社や霊場に行き「六根清浄」の精進行をするのです。

仏教では、「六根清浄」をする為に、様々な教えを説いています。この世で極楽を得る為の方法として、「六波羅蜜(ろくはらみつ)」の行があります。それは、布施、持戒(じかい)、忍辱(にんにく)、精進、禅定(ぜんじょう)、智恵の六つの行(ぎょう)があるのです。「六波羅蜜」については次の機会に詳しくお話しします。

吉祥寺・昇華山阿羅耶識院本堂の
京都・奈良の名刹寺院の仏像(写仏)三十八体の一体
奈良・新薬師寺の薬師十二神将
未年生まれの神様
波夷羅(はいら)大将
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