第28話 「勿体無い(もったいない)」と「有難い」の話。

「勿体無い」と、何気なく言っている人が多いようです。 

誰でも母親から必ず「もったいない」と何度か叱られた事があると思います。

「勿体無い」とは、仏の言葉で、「持つ足りない」がなまって、「もったいない」になったようです。その意味は「物を持っている事を粗末にし、物が無くなった時に粗末にした事を悔やむ」と言うことです。その「勿体無い」が、いつのまにか「畏れ多い(おそれおおい)」の意味に変わったり、時代によっては「かたじけない」に変わってしまったようです。

「有難い」も何時の間にか「ありがとう」に変わってしまいました。「有難い」の意味は、「存在が稀(まれ)である」とか「またとなく尊い」です。これらは現在では通用しない言葉です。

最近、疎(うと)まれている言葉は「謙譲(けんじょう)の美徳」や「質素倹約(しっそけんやく)」や「廃物利用」や「艱難(かんなん)汝(なんじ)を玉にす」等々です。

最近の大学出の若者は「楽な就職をしたい」そして「上司の意見は聞きたくない」等で、「何事にも我慢が出来ない」のです。

主婦は「生魚や生肉を捌けない」そして「断捨離(だんしゃり)が大好き」さらに「家庭よりもバイトが好き」です。

独身者の約半数は「結婚は自由を失うからしたくない」ようです。「勿体無い」や「有難い」は今の世の中には不必要な言葉かもしれません。昭和二十年代の「親の意見と茄子(なす)の花は千に一つも無駄は無い」は、死語になってしまったようです。

吉祥寺・昇華山阿羅耶識院本堂の
京都・奈良の名刹寺院の仏像(写仏)三十八体の一体
京都・教王護国寺東寺帝釈天
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