第20話 「親知らず子知らず」の話。

「親知らず子知らず」とは「険しく危険な山道や、海沿いの道などの険しい難所をさすことば」で、その意味は「あまり道が険しいので、親子でその道を歩く時は、親は子供をかばう事が出来ず、子供は親に頼る事が出来ない、それほど危険の場所を指す」です。

この「親知らず子知らず」は昭和の初めまで存在した難所の道で、富山県新潟県の境にありました。

最近の「親知らず子知らず」は、少し意味が違うようです。「親の面倒も見なければ、子供の面倒も見ない」まさにこれこそ「親知らず子知らず」です。

親の面倒を見ない子供。子供に頼る事の出来ない親。

親は食べるものも我慢して、兎小屋(うさぎこや)のような家をローンで買い、子供達を無事に高校や大学を卒業させ、やっとの思いで就職させると、親達はボロボロです。

親を捨てた子供は、やがて親になり親の供養もしない。そして寂しく年を取り、それでもボロボロの親達は、やがて独立した子供にはもう脛(すね)は囓(かじら)せないぞと、親達だけの生活を守り子供に面倒をかけない為に、自分達だけの葬式と納骨堂を予約する。「親の因果が子に報い」の喩えは現在も同じで、親を捨てた子供は、やがて親になる。「因果応報」で「輪廻転生(りんねてんしょう)」の世の中です。

「親知らず子知らず」から脱出しましょう。ただ生きている世界から、生かされている世界へ。親子が思い遣りと慈しみの心で接して行く世界。親子が和やかに語り合える世界。

日本人の心「おもてなし」の心で、親子が接して暮らしましょう。


吉祥寺・昇華山阿羅耶識院本堂の
京都・奈良の名刹寺院の仏像(写仏)三十八体の一体
奈良・新薬師寺の薬師十二神将
午年生まれの神様
因達羅(いんだら)大将
http://www.arayashikiin.jp