第12話 「お伊勢参り」の話。

平成二十五年は、伊勢神宮(神宮)外宮・内宮を始め伊勢神宮百二十五社の建て替えと、外宮、内宮を二十年毎に遷宮(せんぐう)をする年です。遷宮とは外宮と内宮のそれぞれの敷地内を左右に移動することなのです。
伊勢神宮天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)と豊受大御神(とようけのおおみかみ)を始め百二十五社の御社(おやしろ)には日本誕生の神々がお祀りされています。神様の呼び名は「柱(はしら)」と呼び、三人の神様をお祀りしている場合、三柱(さんはしら)の神様と呼びます。「お伊勢参り」は伊勢神宮にお参りする事で、江戸時代の最盛期には日本各地に「お伊勢講」と言うお伊勢参りの為の「頼母子講(たのもしこう)」が出来ました。
頼母子講(たのもしこう)」とは、それぞれの辞書を要約しますと「仲間が集まり一定のお金を積み立て、入り用な人から落札する組織」のようです。その「お伊勢講」に加入した人達を始め、日本人の人口の六人に一人がお伊勢参りに行ったそうで、最高の年には推定五百万人以上の人達が伊勢神宮に参拝に来たそうです。
伊勢参りの中には「抜(ぬ)け参り」と言うのがあって、それは無銭旅行の事で、柄杓(ひしゃく)を一つ持って「お伊勢参りにまいります」と柄杓を出すとお金を恵んでもらえたそうです。
更に最盛期には「伊勢へ行きたい、伊勢路が見たい、せめて一生に一度でも」と言う歌になるほど、江戸時代の人達の憧れの聖地でした。その人達がお伊勢参りが出来ると「おかげ参り」と呼ばれ、伊勢神宮境内の商家の家では、おかげ参りの人達に様々な食べ物を提供しました。現在でもその「おかげ参り」の風習が残り、「おはらい町」と呼ばれ、伊勢神宮参拝の後には「おはらい町」には人々が溢(あふ)れます。その「おはらい町」には一年間に約五百万人の人達が訪れます。
殊に今年は二十年に一度の遷宮の年なので更に参拝者が多く、平成五年から出来た「おかげ横丁」などは大賑わいで、「一生に一度はお伊勢参り」が再現しそうです。

吉祥寺・昇華山阿羅耶識院本堂の
京都・奈良の名刹寺院の仏像(写仏)三十八体の一体
京都・教王護国寺東寺梵天王像
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