第17話 「日日是好日(にちにちこれこうにち)」の話

「日日是好日」とは、「毎日毎日が常に良い日である」とか「毎日が平穏無事の日である」と解釈する人が多くいますが、仏教ものしり小百科には「日日是好日(にちにちこれこうにち)」とは「思慮分別をまったく離れたところに心身を置くと、執着の心が無くなって、毎日が平穏無事の日日の心境になる」そして「とらわれの心がないのですから、なんのこだわりも生じてはいません。『日日是好日』とは、今が幸せ明日は分からないではなく、すべての日日が良い日である心境になれる」事を指しているのです。この様な心境になる事は現代では無理な話です。普通の辞書では「日日是好日」を「にちにちこれこうにち」と読み、訳は「その日その日が吉日であること」です。
仏教流に「日日是好日」とは、かなりの高僧でも解釈できないほど難しいようです。仏教では「無学」の心境にこそ、「日日是好日」が解ると言われ、「空」の心境に達する「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)」それは「この上なく完全な悟りの境域」ですから、それは悟りを開いた菩薩や佛の世界の話で、我々にとっては「日日是好日」とは毎日が平穏無事の日で吉日であると思うか、毎日毎日が不幸の連続であると思うかで、人生が変わってしまうのです。「福を呼び込むのも自分」で「不幸を招くのが自分」ならば、どちらを取るかは自分次第なのです。昔の人は「泣くも一生、笑うも一生ならば、がんばって笑う日を多く造ろう」と日々励みました。「忘己利他(もうこりた)」の精神は「楽な作業は他人に与え、辛い作業を進んで行おう」です。
「忘己利他」のお話はまたの機会に・・・・・

吉祥寺・昇華山阿羅耶識院本堂の
京都・奈良の名刹寺院の仏像(写仏)三十八体の一体
奈良・新薬師寺の薬師十二神将
卯年生まれの神様
安底羅(あんてら)大将
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