第6話 『続 十二因縁のお話』

『十二因縁』とは、過去世、現世、来世の三世の成り立ちを、御説法の中で示されたものです。「無明(むみょう)、行(ぎょう)、識(しき)、名色(みょうしき)、六入(ろくにゅう)(六処)、触(そく)、受(じゅ)、愛(あい)、取(しゅ)、有(う)、生(しょう)、老死(ろうし)」の十二は人間の三世をあらわしたものです。
「無明」とは、根本的な無癡、「行」とは、無明から生まれた煩悩、「識」とは、無癡と煩悩を持ったまま宿縁により親の胎内に魂が入ること、「名色」とは、受胎の確認を母がすること、「六入」とは、六根、眼・耳・鼻・舌・身体・心の感官が出来て五体と心が官能すること、「触」とは、母胎から離れ産道を通過する苦しみをへて、つまりこの世に誕生すること、「受」とは、感受性が整い自我による喜怒哀楽が行動に現れること、「愛」とは、渇愛(かつあい)・欲求愛・独占愛等のこと、「取」とは、執着心すなわち執着にもとづいた具体的な行動のこと、「有」とは、人間が具有する貪・瞋・癡と五欲の煩悩に六根が汚れ、更に自己中心的な我と業により、輪廻転生(りんねてんしょう)(此の世と、彼の世を行ったり来たりする)を繰り返すこと、「生」とは、輪廻転生の結果として、また来世のこの世に産まれてくるのですが、母親の狭い産道を通過するので、大変な苦痛を味わう。これを「生苦」と言う。「老死」とは、来世に産まれて来ても、現世と同じように「四苦、八苦」を繰り返し味わいながら、年老いて死んで行くこと。次回に続く。http://blogs.yahoo.co.jp/kanzyun/MYBLOG/yblog.html