第10話 『祈りを忘れた大人達。祈りを知らない子供達。』

子供は親の背中を見て親に習い大人になると言います。祈りも同じで、信仰心の厚い親には、親孝行な子供が育つと言われています。
私は幼い頃、何時も遊びに行く所は近所のお寺と神社でした。母に手をひかれてお寺の境内で遊びました。お寺には鳩が沢山いて、鳩の餌の豆を売るお婆さんが居ました。私はお寺に行くと何時も豆をお婆さんから買い豆を蒔きました。豆を蒔くと鳩が沢山寄ってきて豆を食べました。私はそれが嬉しくて毎日の様にお寺に行きました。ある日、母は「お寺の本堂に上がってみない」と言いました。
お寺の本堂では、和尚さんがお経をあげていました。私は和尚さんのお経を聞いていると眠くなり何時しか寝てしまいました。母に起こされた時、私は母に聞きました。「どうしてお経を聞くと眠くなるの」、母は「お経を聞くと心が安まるからだよ」と言いました。それを聞いた日から私は毎日のようにお寺に行き、和尚さんのお経を聞く様になりました。ある日和尚さんは私に向かって「坊やはどうして毎日の様にお寺に来るの」と尋ねられました。私は「和尚さんのお経を聞いていると心が安まるからです」と答えました。すると和尚さんは「心が安まると言うことは、坊やの御先祖様が喜んでいるからなのだよ」と言われました。私は、その話を聞いた時から、本気でお寺詣りをする様になりました。
お寺には自然が沢山あります。春は色とりどりの花が咲き、木々の緑も色とりどりです。夏は虫の声が涼しさを奏でています。秋は木の葉がそれぞれに色づきます。木や花は自然の中に自分の役割を知っていて、必ず時期が来ると花をつけ葉を茂らせ、果実を実らせ、時期が来ると葉は枯れて、時が過ぎると木は枯れ、枯れ木の後に新しい木の芽が生えるのです。
私は大人になった時、自然の摂理を説いたモノがお経である事を知ったのです。お釈迦様が説かれたお経には「生有る物は総て滅する、それを諸行無常と言う」と説かれています。
お釈迦様の教えは、人間が生きて行く為の知恵なのです。「親は子供より後から産まれる」と言ったら、その様な事は無いと思うでしょうが、自然の摂理から言いますと、子供が親になるのですから親は後からなのです。したがって子供の内から親になる心構えが出来なければ、本当の親にはなれないのです。
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